「記憶を貰うの、なんか退屈になって来たんだよね。」

サラッと言ったロジェの言葉に僕はビクリとした。
何を言ってるんだ。そうしたら君は、いや僕は――。




| debut de la fin.






膝の上で心地良さそうに眠るプティを撫でながら、ロジェは続けた。

「いつまで経っても、ラルは教えてくれない。幸せな気持ちになるのは確かだけれどね。」
「幸せなら充分じゃないか。ロジェは不幸にでもなりたいの?」
「いいや。イライラして怒ったり、困ったりすることはあってもさ。
酷く悲しんだりとか、あまり無いなあなんて。」

微笑んでいる。
サラリと言ってはいるけれど、初めて僕が僕に出会った時と同じように
また何かを感じ始めているのだろう。

こんな澄ました顔して、裏じゃ色々思ってたり考えてたりするんだよ。ロジェは。

「ロジェはさ、あまり表に感情を出さないタイプだよね。今のもそういう感じ?」
「僕はラルの前でしか素を出さないよ。」
「あー・・・。」

何も言えない。

「この店に留まってから、どれだけの月日が経ったかなんて分かんないけど
まあ、記憶を集める理由を教えられない理由があるんだもんね。」

どうせ教えてくれないんだろ、とロジェは小さく息を吐いた。


僕はロジェであり、ロジェは僕である。
でも、ラルムという僕が望んだ世界で生き続けているのがロジェだ。

見た目や本質は殆ど同じだけど、僕だけが知っていてロジェが知らないことは沢山ある。


考えてもみれば、僕がこの僕自身を受け入れた時から
それ以前のことなんて元々無かったことにしていた。

だから、ふいに思い出したり言ったりしてロジェを悩ませることだけは絶対に避けた。
共同体と言えど、やっぱり意思は違うのだから。

老いることなく、僕は色々な記憶や思い出を集めることで自分自身を満たして来た。
怠ることなく、続けてきた。ロジェは嫌な顔一つせず、同じように幸せに満ちていてくれた。

望んだものが永遠に続くのなら。
僕はもう何も失うものはないし、独りになることなんてない。

だから、今日の今日まで ―― 。


「あれ?可笑しいな僕、とうとう頭がイカれたのかな。今日って、いつだっけ?」

ハッとして顔を上げた。ロジェが首をかしげて聞いている。

「今日は更待月の一週間前だよ。」
「一週間前か、そっか。」

この御店にはカレンダーを置いていない。
僕は僕の、恐らく死んだであろう日は覚えているから
これくらい経ったかな?という推測は出来る。

更待月は一ヶ月に一回の周期で、22時くらいのことを指す。
僕はその日を基準にするようにと 言っていたらしい。

なんだか、まるで僕以外の。ロジェのような。
僕のような別の誰かがもう一人、過去に居たみたいだ。笑える。

でも、そんなの何とも思わない。



「プティはいつも魅力的だよね。どんなに時が経っても、元気で可愛い。」

ゴロゴロと喉を鳴らすプティを優しく見つめながらロジェは言う。

「そうだね。僕たちの言うことも絶対に聞いてくれる。」
「夜空も一緒。いつも変わらず綺麗。曇っている時は何だか親近感が湧いちゃうけど。」
「ああ、うん。それは僕も同じ。」
「この御店も変わらない。僕達の過ごしやすい御店でいてくれる。」
「うん。」
「ラルもだ。僕の大好きなラルでいてくれる。」
「・・・・・・。」

ロジェ、何が言いたい?

「これ、ラルが前にさ。クリアンから願い事を聞きだす為には外の世界も知る必要があるって。」

直ぐ近くに置いてあった古びた本を手に取り、ページを開く。
表情は特に変わらない、いつものロジェだ。
でも僕は、冷や汗を掻いていた。

「この本には、今までの世界史が沢山書いてある。
それから近代史として大きな戦争のことが書いてある。でも、これ以降がない。」
「それ以降のことが書いてある本は、持ってないからね。」

柱時計の音が鳴り響く。
ロジェの顔を見るのが怖くなり、だんだん下を向いてしまう。

「外に出るなと言われた。記憶を集めることが幸せであり、生活資源だと言われた。」
「ロジェ。」
「僕は、この本に書いてあること以外を全部ラルから教えて貰ってる。
もちろん、クリアンの様子を見てる限りは正しい歴史のようだね。でも。」

プティが小さく鳴いてロジェの膝から飛び降りた。
椅子がキーッと音を立てる。

「ラル。この本に出てくる人々の中にはさ、病気や戦争や事故で死んだ人もいるみたいだけど。」
「ロジェ ・・・!」
「きちんと年を重ねて、老いて死んでる人もいるんだね。」

―― 終わった。ああ、終わった。
恐れていたことが。ああ。また面倒臭い説得をしなければ。

何度も言うようだけど。
ロジェは素を出すのが僕の前だけとか言いつつ、意外と内に秘めてることが沢山あるヤツだ。
だから、だから。不必要なことは教えないようにしていたのに。

僕に似て、頭がキレるヤツだよ。本当。

とにかく僕は平然を保った。いや、保っていなければ。
これ以上、聞かれるのは面倒臭い。
こういうヒヤヒヤする展開は今までにも何度かあったけど、何とか説得して逃れてきた。

そうだよ。
逃れられてたんだから、今だって大丈夫だろう!

「ロジェ、落ち着きなよ。僕らは幸せであれば問題なんて ――」
「可笑しくない?この御店の中と僕ら以外は、皆。」

―― 幸せって何?

「幸せって何なの?確かに記憶を貰ったら幸せな気持ちになる。
でも、僕には それを続ける理由が分からないままだ。
僕にだけ明確な理由がなくて、ただラルの言葉を信じてるだけだ。」

―― 僕は本当に幸せなのか?

「ラルは本当に幸せだと思ってる?
どうして、一番近い存在である僕に何も教えてくれないんだよ。」

―― 朽ちることを。

「一つだけ、聞いてもいいかな。」

僕に近付く足音が聞こえた。
そして真横で止まる。

「いつだかに 僕らは変わらないけど、空や宇宙は広がり続けるなんてことを僕は言った。
そこに僕らは魅力を感じていたよね。でも、少しだけ考え直してみたんだ。」

耳元に温かい息を感じた。
もう、どうにでもなれ。



「永遠に変わることのない空を見て、何を思う?」



想定外の質問だった。
いつものように「何で僕らは死なない?」とか「不老なの?」とか聞かれるんだと思った。

ははは、焦った僕がバカみたいだ。

「それこそ魅力的だよ。永遠に美しい空だなんて、素晴らしいね。最高じゃないか!」

そう言った途端、ロジェは溜息をついて席に戻った。
やっとか、やっとこの状況から逃れられるんだな?

僕は数分ぶりにロジェの顔を見た。
―― 間違いだった。

「そうかもね。でも、僕は少し違う気がする。」
「はあ?」
「空を眺める動植物や無機質なもの達は皆、いつかは朽ち果てる。永遠なんて無い。」
「だからなんだよ?朽ちるよりも空のように永遠に存在し続ける方が ――」

ドンッとテーブルを叩く音と一緒に、息を荒くしたロジェが立ち上がった。

「訳も分からない孤独を埋めることなんて出来ないだろ?!」

ビックリした。

こんな顔、見たことなかった。初めてだった。
僕に刃向うような態度を取ったのも、多分これが初めてだ。
ただただ、ビックリして何も言葉が出なかった。

「僕の隣にはいつもラルがいるさ、いるけど!空と違って、僕には心がある!
世界は回ってるのに!僕らは此処で記憶を貰い続けて、変わらず此処に居続ける!
ラルだけが知っていて、僕だけが知らない!僕は、僕は空のように広がることは出来ない!」

どうにかして、切り抜けるんだ。思い直させるんだ。

「知らない方が良い事だってあると、よく言うじゃないか。」
「有り得ない。僕には、訳が分からないままポッカリと空いた穴がずっとあるんだ。」
「ロジェ、一旦落ち着こう。」

落ち着け、僕もロジェも。
壊れる前に。僕の、僕が。望んだ、この。

「きっとこの世界は、こんな世界は虚構だ。」
「おいおい、何を言い出して ・・・。」

やめて、やめて。やめてよ。

「・・・話が支離滅裂過ぎたね。」

呼吸を整えたロジェは、いつになく低いトーンで言った。

「取り敢えず、僕が密かに考えていたことの結論を言わせてよ。」

身構える余裕なんて無かった。
もう、ロジェの中で導き出された答えはあるんだ。

お仕舞いだ。

「もしもラルが何かのキッカケで死んだら、僕も後を追って死ぬだろう。大切だからね。
でも、僕が死んだ時に。ラルがどうするか、どうなるかは分からない。予想も出来ない。
だってそれは、僕だけ知らないことが多過ぎるからだ。
ねえ、僕達だけが生きる世界になってしまった時は一体どうするんだ?」

ロジェは僕の目をしっかり見つめながら、僕の周りを歩く。

「理由を教えられないのって、死ぬからなんだろ?」

もう、嘘を吐くことは出来ないと悟った。
でも僕は、内心スッとした気持ちにもなっていた。

嘘を吐き続ける必要がなくなったからなのか。
それとも、僕自身が敢えて考えずに遠ざけていたモヤモヤが解消されたからなのか。

よくよく考えれば、プティの存在が不思議だったんだ。

この望んだ世界で今のような、いや。ここまでじゃないけど
同じような状況が今までに沢山あって、その度に僕はロジェを説得し
それが自分にとって正しい行いであると思っていた。
なのに、いつも何かつっかえる感覚があった。

その感覚を、プティがいることで解消していたんだ。
何故なら、あの時に出会った猫とそっくりなのだから。


僕はあの時まで、生きているのに死んでいるような感覚だった。空っぽだった。
それとは正反対である此処は、存在する為の条件が色々あるけれども
最高のユートピアだったんだ。

これが永遠に続けば良いと思ってた。永遠に。
だから、未来永劫を受け入れたはずだった。


でも、つっかえていた感覚は今。
全てロジェが吐き出したことで、明かされた。


僕は永遠に存在し記憶と言う思い出を貰い続け、幸せになることを選んだ。
でも、あの暗闇で僕に似た声は「一度だけ」と言っていた。

だから、このたった一度きりの世界に全てを注いだ。
無駄なことは一切考えない。必要最低限のことだけを教えて
それに従って貰い、そして満たされて幸せになってるはずだった。


僕だけはね。


ロジェは違うんだ。僕であっても、僕じゃないんだ。
何度これを思った。そうだよ、違うんだよ。殆ど一緒だけど違うんだよ。

でも、この世界での僕らは放棄しない限り続く。

「記憶を貰えば幸せになるという言葉を信じ、真実を知らされないまま
先の分からない日々を送り続ける気持ちが分かるか?
それでも自分の弟は幸せだと大声で言えるか?
ラルには僕がいるけれど、僕には誰もいないんだ。分かるか?」

ロジェの声は震えていた。
怒りからなのか、悲しさからなのかは分からない。

「一度信じた心を貫き、訳も分からぬまま孤独を埋めようと兄の足にしがみ付き
意味の無い幸せを探して もがき続けるなんて、もう御免だ。」
「そうだね、本当にごめん。」

否定する言葉なんて見つからなかった。

「もしかしてだけど。僕は何も知らずに、恐らく何十年と生かされていたんじゃないか?」
「まさしくだ。」
「ッハ。双子なのにさ。弟なのに。こんなのジョークでも笑えないよ。」

僕はゆっくりと瞼を閉じた。ロジェは僕から離れていく。
何をするかは、もう分かってる。
僕は止めない。

「永遠に生きるなんて、お伽噺の中だけにしてよ。僕は、違う。」

キンッと金属音が聞こえた。




「僕の居ない孤独の淵で、朽ち果てろ。」




―― ロジェ、今やっと教えられるよ。
君が死ぬことを選んだら、それは僕の選択なんだ。














なんだか浮かない顔をしてるね?

―― 天国でも地獄でも良いから、好い加減に連れていってくれよ。

まあ、どちらに連れていったところで君は同じだろうね。

―― ああ、そう。

どう?自分で自分を殺す気分は。

―― 別になんとも思わない。

そうかそうか!でも普通はこの場合、即地獄行きさ。

―― じゃあ、早く連れてって。

面倒だなあ、君は本当に。何度も何度も、何度も。

―― 煩いよ。

ほら、あと少しだよ。














夢?
可笑しいなあ、僕は死んだはずなんだけど。

そう言えば、此処はどこだろう。
どこかの部屋みたいだけど、何だか見覚えがある。
それに、懐かしいような感じもする。

しかし頭が痛いなあ、ズキズキする。
えっと、ここは ―― 。


「あっ!やっと起きたの?」


奥の暗闇から声が聞こえた。
誰、なんだろう?

「全く。いつまでも座り込んでないで、さっさと準備してよ!」

声の主は、まだ姿を現さない。

何が起こってるのか、サッパリだ。
取り敢えず、聞くべきことは聞いておくのが最善だ。

「君は誰なの?」

吹き出したような笑い声が聞こえた。
そしてコツコツと足音を立てながら、声の主は此方へやって来た。



「寝ぼけてるの?僕はラルムだよ。君の双子の兄じゃないか。
ったく。いちいち説明させないでよ、面倒臭い。」





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