あれは、いつの事だっただろうか。
涙を流すことさえも忘れ、永遠の孤独の淵で願い
未来永劫を受け入れたあの日。

―― それでも僕は、幸せであると。



そもそも、僕は人間だった。
フランスの小さな町で生まれた子供。それがロジェ、僕だ。

何の変哲もない、極普通の家庭に生まれて来たはずだった。
望まれて生まれてきた子供のはずだった。でも、それは違うようだった。

毎日毎日、同じ場所で。僕と同じような小さな双眼鏡で夜空を眺めていた。
曇っている日はそれこそ夜空も僕と同じ、仲間のような気さえもした。
果てしなく続く空に輝く月と星。僕は大好きだったね。

もしこの夜空を、誰かと一緒に見ることが出来たら
どれほど幸せだっただろう?


||| Eternel Retour

         



僕は家族にも友達にも恵まれず、そして孤独に死んだ。
年齢にそぐわない、小さ過ぎる身体と身にまとった服とも言えぬ布は
「その死」にピッタリだったね。

事故や病気だったり、酷い話にゃ通り魔に殺されるとかだったり。
得体の知れぬ死から逃れることが出来ない理由だったら、どれだけマシだっただろう?

僕は小さいながらに「死」を予期し、少しだけだけど
それを受け入れる心は持っていた。


けれど、子供ながらに僅かな未練があった。
今思えばだけど。見た目が年齢にそぐわなくとも、心はそれらしい。
ただただ「死んだように扱われて過ごしていた」にも関わらず。
ある程度の予期や、それを受け入れる態勢が出来ていたにも関わらずだ。

空っぽのまま、知らぬ異世界を彷徨うことに恐怖を感じた。
また孤独になることを恐れていた。

涙を流す感情さえも忘れている癖に、僕は怖かった。
どう足掻いたって意味も無いのにね。可笑しな話だよ。


たまたま今にも死にそうな僕に擦り寄って来た小猫に、すがる思いで願った。


生きていたという証が欲しかった。生きていた意味が欲しかった。
自分のものでなくてもいい。幸せでなくてもいい。
寂しさを埋めたい。思い出が欲しい。沢山の思い出が欲しい。"


子猫は小さく「ニャー」と一鳴きするだけだった。
はははっ。こんな猫に、何を。


―― そして、僕は死んだ。




暗く淀んだ世界。水辺を歩く。僕しかいない。
どうやら死んだんだね。でも、死んでも孤独。ずっと歩いているよ。

一体いつまで歩いたら、神様がいるところに辿り着くんだい?

死んでも、空っぽでいなければならないのかい?
死んでも、居場所を探し続けなければならないのかい?

もう、考えることさえも面倒になった。
そうか。この世界でも 死ぬんだ。



そんな時だった。暗闇から声が聞こえた。
誰の声かは分からない。
でも、自分とよく似た声と口調だった。


君は、涙を流すことさえも疲れてしまったようだね。

―― 疲れたよ。面倒臭い。

死んだことは受け入れられたかい?

―― 何度そのことについて考えたと思ってるんだよ。
もう考えることだって無意味だ。面倒だ。

君は。もしも此処に来ることなく生きていたら。希望や未来があったと思うかい?

―― 無意味だと言ってるだろ。

それでも君は、望んでいた。僕は君の願いを叶えられる。

―― さっきから訳の分からないことを。

もう一度。もう一度だけ、戻してあげるよ。君は幸せになる。
その代わりに、君も幸せにしなくちゃならない。

―― 何を言ってるの?

叶えてあげるんだよ。自分が、そして自分に。魔法をかけてあげるんだ。

―― 話が読めないよ。

君はいつも夜空を眺めていた。
道端に捨てられた、ボロボロの小さな双眼鏡で。

星が好きだった。無限に広がる夜空と星が大好きだった。
いつか誰かと、見られたらと願って ・・・。

―― 煩いよ!分かったような口を利くな!どうしてそんな事が分かるんだよ?まるで ・・・!


「そう。まるで。」


―― 自分と喋っているみたいだ ・・・ 。

それは奇遇だね、僕も同じことを考えていたよ。

―― もう止してくれよ、頭が痛くなる。

ただ、先に忠告だけさせてね。

僕は君と同じだ。
僕は君であって、君は僕だ。
だけれど、僕は君じゃないし君は僕じゃない。

共同体だ。

これからは「同じもの」を得てして、それが「生きる術」になるだろう。
ただし、老いることだけはない。心は分からないけれど、ある種の永劫さ。

これがどういう意味か、わかるかい?

―― 分かる訳ない。

今に分かるさ。

―― だからっ!

さあ、僕のような君と君のような僕が望む世界に。











夢?

小さな部屋。こうこうと照らすオレンジのオイルランプ。
あちこちにガラクタのような、でもよく見ると精巧に作られた雑貨が沢山。
その全てが星や天体のモチーフと一緒になっている。

「凄い ・・・!」

訳が分からないこの状況下でも、まるで夢のような光景に湧き上がる興奮だけは押さえられなかった。

もしかして、生きている?
信じられなかった。

気付くと、何かを漁るような物音が聞こえる。
音の方向に目を向けると、僕と同じような背格好の後ろ姿があった。

「あっ!やっと起きたのか。」

不可解なことに、振り返った人間は気持ちが悪いくらいに自分と瓜二つ。
ただ、そんな僕ような奴の姿に少しの違和感を感じた。

これは夢なのか?それとも本当の意味での死後の世界だというのか。
もしかして、死にそうだった僕を誰かが拾ったの?
にしては、ドッペルゲンガーのような人間が目の前にいるなんて信じがたい。

「ラル?ほらほら。床に座り込んでないで起きてよ。ああ、プティも邪魔だって言ってる。」

聞き覚えのある鳴き声の方向に目を向けて、思わず息を呑んだ。

やっぱりだ。あの時の小猫だ。
デジャヴのように、僕の足に擦り寄る。

本当に訳が分からなかった。

「君は、誰なんだ?」
「やだなあ、寝ぼけてるの?ロジェだよ。ロジェ。」

ティーポットを取り出して、面白可笑しそうに言っているけれど ・・・ 。

「ロジェ?それは僕の名前だ。」
「何を言ってるんだよ、君はラルムじゃないか!」

とうとう我慢が出来なかったのか、お腹を抱えて笑い始める。

よく見たら、目の色が左右で違う。最初の違和感はこれだったのかな。
でも、何が起きている?

「僕は、今まで何をしていたの?」
「寝ていたよ。すやすやとね。全く!更待月まであと少しだよ。」

生きていた時間以上に考えているような気がする。こんがらがりそうだ。
頭を使うのって疲れる。

それこそ、生きている感覚だ。生き返ったか生き延びたかのようだ。

「僕は、誰?」
「まーだ寝ぼけているのか?ラルム。ラールーム。」
「それは涙という意味じゃないか!大体さっきから僕は ・・・・・・ あれ?」


君は、涙を流すことさえも疲れてしまったようだね。

頭の中で響く。


「そうだね、意味として考えれば涙だね。でも名前は名前だし、関係無いよね。」
「どうして、僕と同じ姿なんだ?」

名前のこと以前に、考えが振り出しに戻る。

「同じって。双子だからに決まってるじゃないか。僕は弟のロジェ。ったく、好い加減にしてね?」

弟のロジェ?双子?

「君のお父さんとお母さんは?」
「忘れたの?僕たちは捨て子じゃないか。二人で協力して、今こうして御店をやってるんじゃないか。」

そうだそうだ、と言わんばかりに小猫が鳴く。

「ふふっ。まるで僕がラルの記憶を取ってしまったみたいじゃないか。
さあ、更待月は迫っているよ。記憶や思い出を沢山貰わなくちゃ。
毎回一ヶ月も準備する時間が要るなんて、大変だよ!」

記憶を ・・・・・・?

「ほらほら、さっさと動きなって。記憶を貰うことが、僕たちの仕事。
それで生活してるようなもんなんだから。」
「記憶で生活って、記憶が無ければどうするの?」
「さあ?ていうか、それは前にラルが自分で知ってるって言ったじゃないか。
真意は全然教えてくれないけどさ。取り敢えず、生活資源としか ・・・?」

何の話だ?
でも、この僕みたいな奴が言う話によれば
どうやら捨てられた双子として、生きていた(生きている)らしい。

それよりも生活資源、それは生きる術。どこかで ・・・・・・ 。

思い出しそうで思い出せない。考えていると、いつのまにか僕のような奴は
「夜空を確認する」と言い、楽しそうに大きな望遠鏡を奥の部屋から引っ張り出している。
店内の品々と言い、星が好きなのか?それじゃあ、まるで。

「さすが、僕たち双子だよね。多少、思考の違いや性格も違うけど
好きなものとか全部一緒だし。ああそうだ、変な腹黒さも一緒かな。」

窓から空を眺めている姿はまるで、本物の自分を見ているようだ。

でも、明らかに違うことがある。
僕には記憶を集めることに目的意識があるらしいけれど、奴には無い。というか分からないだけで
僕が話していない、ということになっている。
だから、兄らしい僕の言うことに従って記憶を集めることに執着してるだけだ。

しっかし小さいながら、というかロクな教育も受けていない癖に
よくもここまで頭の中を整理出来たもんだよ、自分。

「ねえ、ラルム。」

目は夜空に向けたまま、僕のことらしい名前で話しかける。

「僕たちは、いくつ年を重ねても変わらないね。毎日眺める空も、眺めてる限りは一緒だ。
でも、空は。宇宙は。知らない間に無限に広がり続けてる。」

―― 確かに、そうだ。

「僕らはさあ。毎日同じような時を過ごしているだけで、広がってるのかさえわからない。
でも、記憶を貰うとね?誰かの望みを叶える代わりに、なんだか満たされる気持ちになるんだ。」

淡々とした口調だった。

「でも、変わらない。まるで、永遠の命でも持っているかのようだね。お伽噺話みたいさ。
木々や草花、動物や昆虫。外に生きる人間は皆、いつかは果てる。色んな思い出と一緒に。
でも僕らは、他人の思い出ばかりを集めて満足しているだけだ。僕らは僕らで共有する思い出しかない。
記憶集めってただのコレクションな気がしなくもない。」


君は幸せになる。その代わりに、君も幸せにしなくちゃならない。

叶えてあげるんだよ。自分が、そして自分に。魔法をかけてあげるんだ。

頭の中で、また響く。


「ねえ。僕らは、どうして記憶を貰うの?」

やっと望遠鏡から目を離し、此方に向けた顔は
何とも言えぬ、虚しい表情だった。


僕は君であって、君は僕。君は僕じゃないし、僕は君じゃない。

これからは「同じもの」を得てして、それが「生きる術」になるだろう。

ただし、老いること「だけ」はない。心は分からないけれど、ある種の永劫さ。




思い出した。
これは、暗闇で自分のような声が言っていた世界なんだ。



さあ、僕のような君と君のような僕が望む世界に。



僕は死ぬことを予期し、受け入れていたはずだった。
けれど、僕は小さく願っていた。その、世界なんだ。

ただ、この僕みたいな奴は何かを感じ始めているみたいだ。


そう言えば、そうだ。
同じものを得てして、それが生きる術になる。

僕らがこの世界で生きる術は、どうやら僕しか知らないようだ。

けれど、この僕みたいな奴は僕だ。
そして、僕も奴だ。
本質は違うようだけど、僕だ。


共同体だ。


僕たちが記憶を貰うことを嫌になったり放棄する事があれば、また繰り返すのだろう。
何故なら僕は今、ラルムであり奴だ。奴は僕であり、ロジェだ。

時間は無限であり、物質は有限である。
およそ到達しうる最高の肯定の形式、それが永劫回帰だと何かの本で読んだ。




僕は何を願っていた?
孤独の淵で、何を願った?


そう。僕は、思い出が欲しかったんだ。
生きた証と意味が欲しかったんだ。

―― 生きていたかったんだ。

誰のでもいい。思い出があれば、それだけで満たされるんだ。
その代わり、僕らは叶えてあげるんだ。

それが僕の証となるんだ。
もう二度とあの時には戻らない、あんな死に様はきっと夢だった。
僕は生きる意志を持ち続けるんだ。




やっと立ち上がり、お尻についた埃を手で払うと口を開いた。

「ロジェ。それはね、僕らが永遠に幸せである為だよ。」




―― 全てを理解した今。
僕のような僕、受け入れよう。




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